ちょっと前から
車に乗ってると
七五三の可愛いお姿✨
を見かける様になりました
時期的に 今日の祝日🎌
七五三のお祝いする家庭も
多いのかな?
七五三と言うと
どうしても思い出す事
がネエサンには あります
それは
自分が着た七五三の着物
もうご存知だとは思いますが(^_^;)
ネエサンは4才の時に
今の実家に養子に来ました
ネエサンが来た当時
育ての父→24才
育ての母→29才
今や「育ての」って付けるのが
かなり不自然だけど(笑)
分かりやすく表現すると
そうだった訳です
そして
その2年後?3年後?
ネエサンは七歳の七五三
立派に七五三を祝ってもらいました
ネエサンは
その時の事 うっすらと覚えています
回りの人が
本当に喜んでくれていました
ネエサンは
前に自分の生い立ちをまとめた
「だから今がある」シリーズにも
書いたけど
実の両親には恵まれなかったけど
その他の回りの人全員
には
本当に恵まれて育った
って思ってます
当時
ネエサンはまだ小さかったから
細かい事は
何にも分かってなかったけど
ネエサンの着物姿を見た
まわりの
事情を知ってる大人達
の
喜んでくれた顔は
今も忘れられません
もしも
今のネエサンの知ってる小さい子供が
それまで
かなり悲惨な状況で
誰も育てていない(今で言うとネグレクト)
みたいな子だったのに
キレイな着物を着て
きちんと七五三をお祝いしてもらってる姿
を見たら
きっと 号泣すると思います
だから
その時
ネエサンの着物姿を見て
大歓声を上げて喜んでくれた
近所の人
親戚の人
や
産みの父と育ての父が友達だった為
実の親の友達
と
今の親の友達
が かなり株ってるから
その
どちらにしても 親の友達は
ネエサンの事を
生まれた時から知ってるだけに
特に特に
喜んでくれたのだと分かります
そうやって
ネエサンは
育ての父と母に
盛大に七五三をやってもらったのです
なんだけど
何年もたってから
父がよく言って事があります
あの着物は
ホントに見栄を張って買ったな~
って よく言ってました
川越の方は知ってると思うけど
「かんだ呉服店」で買ったそうです
当時
父はまだ26~7才で
働いてたけど
そんなに 裕福って訳じゃないし
夜の川越で 湯水の如く
宵越しの金は持たないで遊んでいた時💦
そんなに良い着物を
買えるはずも無いのに
この子を引き取ったけど
こんなに立派な着物を
オレは着せられたぞ!!!
って事を
回りに見せたかったんだと思います
今思うと
あの着物は
借金して買ったのかな('_'?)
まーいいや(笑)
でね
ちょっと違う話なんだけどね
ネエサンが
オシャレに目覚めたのは
母や母方の親戚
の影響が大なんですよ
母は 貧乏だったけど
ネエサンには
変なモノは絶対に着せませんでした
貧乏だったから
随分と 回りが
「お下がり」をくれましたが
例え貧乏でも
母が選別したモノだけを着せられてました
普段は
かなりの貧困でしたが
(父がお金を入れない為💦)
父は お寿司が好きなネエサンを
お寿司屋に連れて行く時は
必ず カウンターで食べさせ
母は たとえ貧乏でも
悲壮感は
外に出さないのが上手い人でした
そんな2人に育てられたから
産まれた家は問題外💧
育った家も お金の無さから
良くも悪くも激しい家だったけど💧
心まで貧困に
ならなかった
って思います
その 象徴?
なんか
話が上手く繋がったかどーか
分かんなくなっちゃったのだけどf(^_^)
ネエサンの七五三の時に
他の子が
着てない様な着物
を
着せてくれた事
そういう
たとえ貧乏でも!
お祝い事やお祭り事へのこだわり!
や
人とは違うカッコいいモノを!!
っていう
そのセンスは
その後のネエサンの生き方に
ずーっと 引き継がれています
お嬢が 七五三の時
あの時 親が
ネエサンを回りに披露する為に
見栄を張って父がお金を出し
母のセンスで選んだ
あの着物
を絶対に着せたい!!
って思って
お嬢にも着せました✨
ネエサン自慢の!(着物)の
七五三の写真を載せます
そのまま載せます✨
45年前なんで(笑)
この顔から今の顔には
たどり着かない(笑)
↓
↑
キレイな緑色で
手鞠の刺繍だけ!
小物を赤にして可愛く!
それが 「母のこだわり」
だったそうです( ゚ー゚)
お嬢は 一応 顔隠しておきます
あんまり 変わってないから(笑)
↓
ポリエステルの派手な色の
着物の子が多い中
この 絹のグリーン✨
お嬢も 目立ってたな✨