こんにちは ネエサンです😌
①の 前説に 続き②になります
私は今
7年前
64才で亡くなった父が創立した
トラック12台程の
小さい運送会社を
七才下の弟と運営してますが
父から受け継いだ会社を
何としても 下らせてはならない!
と思って 日々仕事を全力で
頑張っています
実際に
父が亡くなった時より
会社の経営状況を上げて結果も出してます⤴️
引き続き頑張るつもりです‼️
父が残してくれた会社を
絶対に傾ける訳には 行かないから✊
しかし
その亡くなった父と私は
全く血は繋がってません
厳密に言うと
隣の実家に住む 母は 私の「おばさん」で
弟は いとこ です
これから書く 私の生い立ちは
全て 育ての母から聞いた話と
私の記憶からのものです
↓↓↓↓
私は 4歳頃
今の実家(今後、実家と書きます)
に
養女として
正式に養子縁組して
引き取られて来ました
自分でも 幼稚園の年少の時
名字が違っていた記憶はあります
当時 アパートで一緒に住んでいた
若い男女の事は
男の人は パパと呼んでいた様な気がしますが
そんなに 関わった記憶は無いです
女の人は ボンヤリだけど顔と
一緒にハウスのゼリーを作った思い出だけ
あるだけで
ママと呼んでいた記憶もなくて
後の記憶もありません
そして 実際には
その♀️の人は
私を産んだ人ではありませんでした
産みの父は
その時 一緒に住んでいた♂️の人でした
そして その♂️の人は
育ての母の 弟です
だから 実家の母は 厳密に言うと
私の おばさん になるという事です
では
産みの父と 育ての父は
元々
無関係か と言うと
それがまた
面白いもので
2人は
川越の街の 不良仲間で
十代の頃から 友達だったそうです
だから
最初は
60年近く前の
その♂️2人の出会いから
始まるのです
なので
整理すると
私の
産みの父と育ての父は
十代の頃からの 不良仲間だった
そして 数年後
育ての父は
不良仲間の
お姉さんと
結婚する事になるのです
だから
不良仲間だった ♂️2人は
義理の兄弟に なったのです
そして
更に 不思議で面白い事に
その不良同士が
「親友」だったのなら
何かしらの理由で
片方が
子供を育てられなくなった時
もう片方が
育てる事になった
と言うのなら
分からなくもないのですが
産みの父と育ての父は
17~18才頃は つるんで悪さをし
そこそこ 仲は良かったらしいのですが
二十歳位からは
それぞれの生活が 変わってきて
決して
仲の良い2人では なかったらしい
私の記憶でも
私が小さい頃
親戚が集まる席で
年中 ケンカしてました💦
♂️2人は
2人とも
自分の母親を 2歳位で病気で亡くしていて
そんな事もあり
最初は 仲良かったのかもしれません
実家の母から聞いたのですが
街中(マチナカ)の神社で
他の不良とケンカをし
少年Aと少年B
として
新聞に載った事が あるらしい😓
どちらが Aで
どちらがB なのか…
産みの父が 1つ年上だったから
そっちが Aかな(笑)
もう はるか 60年位前の話ですが
私は
産みの父→少年A
育ての父→少年B
という 血統書付き?
です(笑)
産みの父の方も
もう亡くなってますが
更に
面白いって言って良いのか
分かりませんが
私が言うなら 良いでしょう
なんと
育ての父が 64才で亡くなったのが
7年前の 7月21日
産みの父が亡くなったのは
同じく 7年前の 6月21日
という
同じ年の 日にちも同じ
丁度1ヶ月違いで
あの世に 行きました👻
なんの因果か…
♂️2人の人生…
産みの父親は
バツ3で💦
最後は独身で 死にましたが
おじさん と メイの関係として
死ぬまで 付き合いはありました
そして
肝心の
私を 産んだ♀️の人
の事は
1つも 記憶にありません
私が 2歳位の時に
彼氏が出来て 出ていったと
実家の母に聞きました
なぜ 子供もいる若い夫婦に亀裂が入り
(二十歳そこそこだったはず)
出て行ったのか
理由は分かります
産みの父親の浮気なはずです
だって
産みの父親の方は
今でも 街中の商店や飲み屋さんに
行くと
伝説の様に 語り継がれている
今で言うなら
イケメン✨
だったからです
あまり知らない人には
めいっ子だと思われているので
話が出れば
「いい男だったね~」(顔が)
と みんな言います
一方
育ての父も
地元では 結構顔が広くて
やはり
どこ行っても
「面倒見のいい 凄い人だったね~」
と 今でも
あちこちで 言われます
私のおいたちを語るには
この 2人を説明しないと
分かりにくいので
先に この話になりました
では、今日は この辺で😌
③に続けます
お嬢が 復活したので😄
外食🌃🍴🍻行ってきます😆🎵