ネエサンの頭ぐるぐる日記♪

心身共に代わり行く50代の日常を お喋り感覚で♪

だから今がある⑤最終回

4歳まで 一緒にいた産みの父

顔も知らない 産みの母


引き取ってから

ずーっと育ててくれて 

私にとっては本当の親である 育ての父と母


当時 15歳位だった

産みの父と育ての父が出会った事から始まり


なが~~い年月かけて


今は こうやって幸せに暮らせている私は


こういう1つ1つの重なりがあったから


「だから今がある」


のだなぁぁ と 自分が50歳を過ぎて

よく 思います


そんな話の全部を 文書にしてみたい

という 思いから

かなり 長くなってしまいましたが書きました


書いた意味は


☆自分で 改めて振り返ってみたい

って事と


☆娘が いつか これを読んで

 こういういろんな事が重なって

 今自分が生きてるんだな

 生きてるだけで 奇跡だよ!

 って感じてくれたらなぁ(*゚ー゚)

って思う事と


☆もし 読んでくれた方の中に  

 生い立ちに いろいろあった人が居たら

 昔 いろいろあったとしても

 こうやって 今は 自分の家庭を持って

 楽しく暮らしてる人もいるよ!

って事が 少しでも伝われば良いな


という意味などから 長いの書きました


もし 読んでくれる方は

①~順番に 読んでみてください


普段 ネエサンブログを読んでくれている方々も

こういう育ち方の背景が あって

今のネエサンに 出来上がったんだなぁ

と思ってくれたら

面白いと思いますf(^_^)


と 上記は 後から 書き足しました

そしてたら 

①と内容が被ってました(^_^;)


話の本編は②から 始まります



kyobachan.hatenablog.com

kyobachan.hatenablog.com

kyobachan.hatenablog.com

kyobachan.hatenablog.com

 

 

なが~く 私の育った環境を

お話してきましたが

今は

私自身が子供を産み育てています

 

子供を欲しいと思えなかった時期の事

親になってみてからの事

今現在の心境などで 締めたいと思います

 

また なが~くなりそうですが

良かったら お付き合いください(^_^)

↓↓↓

 

④でお話したように

私は

「自分の生い立ちは 私のせいじゃない」 

の精神で 若い時代を過ごしました

この様に思えて育って来たのも

自分に 養女の感覚があまり無かったからだと

思います

それほどに

育った家では 家族として 

私も当たり前に存在していたのだと思います

 

しかしながら

26歳の終わり頃

自分が結婚して

その後 赤ちゃんを授かり

産み 育てる という事が

自分に出来るのだろうか…と

難しく考えてしまう様になりました

 

夫と結婚して 2人の生活が

あまりにも 楽しくて 充実していて

それもあり

早く赤ちゃんが欲しい!

と 思えない自分が居ました

 

今思えば

新婚の時は

2人で遊びたい~ って夫婦は

沢山いると思います

 

でも その頃は

手放しで子供が欲しい! と思えない

私の様な人間が   

結婚したからって 子供を産んでも

きちんと育てられる訳がない

 

と 日に日に思う様になってしまいました

 

「基盤の夫婦2人が 幸せに仲良く暮らしてて

何がいけないの!?

何でイヤミを言われなくちゃならないの!」

 

と 

周りが子供の事を言えば言う程

子供は 逆に いらない👋😞

と 思う様になってしまいました

 

私の 描く 幸せな家庭とは

仲良く暮らす夫婦2人

であって

そこに 子供の姿は どうしても

描けなかった

 

そして

私には 子供を育てられない

DNAが流れている(流れてるって言うのか?)

とさえ 思ってましたし

実際に言ってました

 

それは ナゼかと言うと

やはり

 

子供(私の事)が 居るのに

自分の事を優先してしまった

産みの親の夫婦の血で 私は出来ている

という事と

 

子供が居ても

関係無しに

お金の事や浮気の事で 大喧嘩を繰り返す

育ての親の夫婦

 

を 身近に見て育ち

 

子供は 何よりも大事で

自分を犠牲にしても守りたい存在だ

 

とか

 

夫婦2人で 子供の成長を見守る

 

などという

子供に対する親の気持ちが

分からなかったのだと思います

 

今思えば

最初から そんな自信満々に子供を産む人の方が少ないと思いますが😅

 

当時の私は

生まれて来た子供に責任を持てない人は

  

子供を作ってはいけない!!

 

だから 

そのくらいの 覚悟を持って

子供を産まなくてはいけない!!

 

という 気持ちが強くて

 

結婚して10年近く

子供を産み育てる事に対して

自分にはムリだ と思ってました

 

その10年近く 夫と2人の生活が

楽で 楽しく とても充実していたから

尚更 子供は居なくても良いという風に

なってしまってました

 

今でも

子供は 「居れば良い」とは

全然思いません

 

子供の居ない夫婦が 周りにも何組かいますが

お互いに いたわりながら

なかよーーく暮らしてます(^^)/\(^^)

 

子供が居ても 夫婦が冷めきった仮面夫婦

居ます

 

子供を産んだ人が産んでない人より

エライ スゴイでもないです

 

結婚してても しなくても

子供がいても いなくても

 

それぞれで いいと思います

 

しかし

それは 大人になってからの話で

それぞれが それぞれの

自分の人生を生きられる様になってからの話です

 

子供は 親を選んで産まれてこれない…

私が体験した様に

子供の時は 

どんな家でも どんな親でも

自分で 出ていけないのだから

そこに居るしかないんです

 

いろいろ言ってしまいましたが💦

そういう いろんな事がぐるぐる🌀してました

 

そんな訳で

年齢の事もありましたが

私達夫婦なら

子供を産んで育てられるだろう!

子育ての事は あれこれ考えなくても

夫婦仲良くしていれば

怖い事はない‼️

思うのに 8~9年が過ぎてしまいました😓

 

そして 

産まれたのが 

「あの!」お嬢です(笑)

 

最近 よく

30過ぎ位の 知り合いの女の子に

お姉さんは 子供を産んで良かったですか?

と 聞かれます

 

苦労もあるけど 私は良かったよ☺️

と 即答出来ます😌

 

 

私は 生まれて来てから

いろんな人の 世話になってきたなぁ

と最近になって 良く思います(年のせいか?)

 

育ての母は 勿論の事

 

育ての父だって 

破天荒に付き合わされましたが💦

父の 私を引き取る という一言が無ければ

私は 児童施設で育っていたのです

それから

母に聞いたのですが

家庭裁判所で 四歳の私本人にも

どっちへ行きたいか?

みたいな事を 聞かれたそうです

産みの父 育ての父を 前にして

四歳の私は

なんと!

育ての父に くっついて

離れなかったそうです

普通に考えたら

その当時は あまり面識のない

おじさん なはずだし

何だかんだ 言っても

子供は 自分の親が好きなはずです

なのに 私は

おじさん にくっついて離れなかった…

勿論 記憶には全くありませんが

四歳の私は このおじさんに付いて行けば

叩かれたり 誰からも相手にされていない

毎日から 抜け出せる!

と思ったのかもしれません😢

そういう事などが 重なり

酔っぱらって

ぶん殴られたりもしましたが😣💦

育ての父の事は 本気で

嫌いにはなれませんでした😢

 

 

床屋のじいちゃんだって

アラビアンヤキソバさえも 食べさせてくれなかったら(笑) 私は衰弱死していたかもしれません

 

今 実家の隣に住んでいますが

引っ越して来るとき

近所のおじちゃん、おばちゃん達も

大喜びしてくれました

近所の方達は 

私が四歳から

急に住みだしてるのだから 事情は知っているはずなのに 最初から 可愛がってくれました

 

産みの父と育ての父の 共通の友達も

川越に沢山います

その人達も 私の動きは勿論知ってますが

私が 引き取られて来た頃かな

当時の 川越のワルだった😄

まだ25歳位の

その人達も 本当に可愛がってくれました

 

それから 育ての父の兄弟たち

お姉さん5人 お兄さん1人いますが

(末っ子の父だけ死んで、他は全員元気!)

ひょこっと 突然来た

私の事を 他のいとこ達と 全く同じに

扱って可愛がってくれました

 

それから…

 

産みの親の事…

 

お嬢が 4歳になった時

 

こんなに可愛い盛りの女の子を

よく捨てられたなと ホントに思いました

 

しかも

最初に 母親が置いていき…

 

親権のあった 育ての父は 

再婚に邪魔だからって

四歳の子供を

養子に出すって 信じられない

 

と お嬢が四歳の時によく思いました

 

 

産みの親に対しては

不思議と

恨み辛みは 無いんです

それは

先の方で書いた様に

育った家でも 辛い事は沢山ありましたが

産みの親に育てられなくて

ホントに良かったと思っているからです

 

中1で 真実を知ってからも

ずーっと

産みの親の事は

何だか 他人事の様なきがして

なんの感情もわかないんです

二十歳の時に

父に

レイちゃんに会いたいか?

会いたければ会わせると言われ

何の感情もわかずに

特別会いたい!とも

絶対に会いたくない!とも

思わなかったから

断りました

 

その後もずーっとそうでした

 

なのですが

 

最近になって

 

あぁ

産みの母親が お腹で10ヶ月育てて

産んでくれたから 

それが 無きゃ

そもそも

その後 ぜーんぶ無いんだな

 

とか 思う様になったのです

 

先日 ブログでも

相続の話をしましたが、

相続は 「血」 です

産みの父が死んだとき

三番目の奥さんの娘からTELがあり

私は 相続放棄の実印を押しました

 

産みの父は死にましたが

産みの母(レイちゃん)は 

生きていると思います

 

でも 亡くなったら

私の所に 

私の知らない 

私と半分同じ血が流れている

人から(再婚相手との子供) 

連絡があるかもしれません

借金でも貯金でも不動産でも

死後に何かを動かす場合は

私の印鑑は必要になりますからね

 

そんなこんなで

もう 

産みの母も高齢なはずだという事と

 

私が今の家で相続手続きをする度に

 

最近

産みの母を 思い出す?というか

記憶が無いから

思い出せないけど

存在を意識してきました

 

育ての父が 前に話した事を思い出しました

 

昔 レイちゃんの所に行ったら

大きなお腹で イスに座って

生まれてくる 子供の靴下を編んでた

 

と。

 

生まれてくる子供とは 私の事です

 

なんか

やっぱり 生まれて来る事は

喜んでいたんだなぁ

と 思いました😊

 

そしてそして

産みの父親ですが

なーんにも しないで死にましたが

顔だけで 生きた‼️

って言うのも

逆にスゴイ‼️

と 最近になって 笑えます(笑)

私にとっては 最後まで

面白い 叔父さんでした

最後まで 本人は楽しそうに生きてましたよ(笑)

 

こうやって

いろんな人の いろんな事が

関わり 絡まりあって

いろんな偶然が重なって

私は大人になり

夢だった

洋服の仕事を 本気で勤め

その後

私と夫が知り合い 

仕事を辞め

結婚して

長くかかったけど

お嬢が生まれ

父の会社を継ぐ事になり

育った家の隣が 偶然空いて

引っ越して来て

今は

JKのお嬢とケンカする毎日(笑)

 

自分の事ながら

人生わからないもんだな~と思います

 

 

子供の頃は

しなくても良い体験をしたとも

思いますが

そういう体験をしたからこそ?

 

人の子供でも大事に思うし

貧乏生活が絶対にイヤだから

仕事する事が好きで

何やっても

ガッツリ稼ぎ

夫婦は今も仲良く暮らし

何でも 一生懸命やって来たから

出会う人にも恵まれて

 

↓↓↓↓

 

だから今がある 

 

と思います😌

よし! やっと💦締まった🙌

 

最後に…

ちょっと…

数年前に あの床屋のジーちゃんの家が

取り壊される事になり

家を整理していたら

私が 赤ちゃんの時の写真が

出てきたと言われ

母が 持って帰って来ました

 

既に 二人の父は亡くなってからの話ですが

その写真には

産みの父が

私を抱っこして 赤ちゃんの私は

とても 可愛い笑顔の写真でした

↓↓↓

 

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もう 本人は死んでるし 

50年以上前の写真なので

そのまま 載せました!

 

私は これを母に見せられた時

この 赤ちゃんの笑顔に(自分ですが💦)

なんか ちょっとウルっと😢しちゃったんです

 

そして その時 母は……

 

ちょっと涙ぐんでる私の隣で

写真をジーっと👀見つめていました

 

それから母が言った

一言……

 

↓↓↓

 

↓↓↓

 

↓↓↓

 

↓↓↓

 

 

こんな オモチャあったかね~

 

 

私の気持ち

↓↓↓↓↓

 

(  ̄▽ ̄)

 

 え~~ そっち~⁉️⁉️


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こういう人

育ててもらったって事は

 

やっぱり 私は運がいい!?(笑)

 

おわりです

 

最初から最後まで 

長いの読んでくださった方々

本当にありがとうございましたm(_ _)m