今日は成人式ですね
川越市の成人式は延期になったそうです
今日の
川越は雨や雪は降ってないけど
かなり寒いです
3月辺りに延期になるのなら
その方が季節的には良いのかな?
でも ハッキリ決まらないのは
親も子も大変ですね
ネエサンの成人式の年と言えば
一週間位あった昭和64年と同じ年の
平成元年なんですよ
成人式前も
世の中自粛自粛で
飲食店などはBGMをかけないで営業
街中シーンとしてましたが
人は普通に外出出来たので
今の自粛とは全く違いました
そして
時代は昭和~平成に変わり
昔は1月15日と決まってた
成人式は 平成元年になったばかりで
普通に出来ました
当日は雪が降りそうな程
どんよりして凄く寒かったです
が
大雪は降りませんでした
その後だったかな?
よーく1月15日は
こちらも雪が降りましたね(^_^;)
去年は甥っ子Aが成人式で
弟に
後で懐かしく思うから
きちんとした写真屋さんで
親子(父子)で写真を撮っておきなさい
って言ってから1年
1年はあっという間だなぁ
そんな事を考えていたら
自分の時の成人式辺りの
いろんな事を思い出しました
ネエサンが二十歳の時は
デザインの専門学校へ行ってる時でした
川越市民会館で会った
小学校中学時代の友達や高校の時の友達は
みーんな
髪の毛を綺麗に上げて
当時流行だった
大正ロマンの様な振り袖に
白いファーの襟巻きと言う
ザ成人式のスタイルでした
が
人と同じ感じが大キライ
だったネエサンは
美容院で
着物用みないなみんな同じ
ヘアメイクをされるのが嫌で
全部自分でやりました
当時髪の毛は ショートボブ
着物に合わせた髪飾りを自分で探して
ヘアバンド?カチューシャ?みたいに
頭に巻き
上をリボン結びにしました
バックも着物用が嫌で
母が持っていたビーズの小さな手提げ
にして
ファーも白は絶対に嫌で
グレー系にしました
着付けは早朝 母と一緒に
着物を買った所へ行って
着付けてもらいました
この時着付けてもらった着物は
着物と帯と合わせて
50万円位だったと思います
当時 バブル真っ最中だったし
娘の成人式には
100万円とかかけている家も
沢山いたので
ネエサンの着物は
決して高額の着物では無かったけど
自分がこれを着たいと思ったから
それを買いました
ご存知の通り
ネエサンの実家は
かなりの貧乏でした
でもその頃は
既に父も借金は返し終えていて
独立して
今の運送屋を始めた頃です
借金苦で
食べるお金もどう工面するのか?
という時期は
ネエサンが中学生頃まででした
それに加え
バブルという事もあり
実家は
最悪の状態では無かったけど
相変わらず父は
豪快に外でお金は使っていたので
生活は決して裕福とは言えませんでした
ネエサンは
中学生からの夢だった
服飾の専門学校へ行かせてもらってる
だけでかなり親に負担をかけている
と思ってたから
成人式の着物は
レンタル代程の七万円だったかな?
その分は
親に払ってもらったけど
残りの
43万円程プラス装飾品は
自分で買いました
ネエサンはまだ
専門学生でバイトしかやってなくて
しかも
高校の時は毎日バイトしてたから
結構稼いでいたけど
都内の専門学校へ行ってからは
平日は週2~3日位の
短時間しか出来なかったから
高校生の時よりバイト代は少なかった
なので
なが~いローンを組みました
ネエサンは車の免許も
親にお金は出してもらえず?
きっと
言えば払ってもらえたかもしれないのだけど
親に言えば
親がローンを組むだろうと
分かっていたから
親に借金をさせるのが嫌で
「自分で払う」と言って
なが~いローンを組んで
(ハッキリ覚えてないのだけど
当時 丸井ではカードを持てたから
丸井でローンを組み丸井に払ってた)
なので
社会に出てからも
この2つのローンは払い続けていました
その時
月々の返済を少なくするしかなかったから
支払い期間が長い為
かなりの金額の利息を払いました
この時
現金があればあんなに沢山の
利息を払わずに済んだのに、、
と痛感しました
その後
ローンを組まなければならない様な
貧乏生活は絶対に嫌だ
って思ってましたが
独身の時
服飾の会社に居た時は
使いたい放題 稼いだお金を
ぜーーーーんぶ使ってしまいました(笑)
勿論 借金はしませんでしたが
貯金もゼロです(笑)
でも 独身時代に
あれだけ お金を使って遊んだから
遊びは やり尽くした感があって
20代中盤になった時
夫と出会って
結婚しようと思ってからは
しっかり計画して貯金出来る様に
なりました
そして次は
結婚資金もほぼ自分で貯めました
話が成人式から借金の話になったゃった(笑)
そんなこんなだけど
体力のある若い時にしか出来ない遊びを
働きながらお金を使って
めーーいっぱい遊んだ時期があったからこそ
きっちり
遊びはもーやった!!
と気持ちに区切りを付けられたと思います
仕事も遊びも振り切ってやり尽くして
良かったと今でも思います(*゚ー゚)
このネエサンの思い出の振り袖は
七五三の時と同じく
お嬢にも着せる予定で居ます
が
お嬢が
それは嫌だと
何か自分で着たい別の着物があって
それを自分で言ってくる位に育ってれば
それはそれで
たいしたもんだって思います(笑)
それと
お嬢には
若い内はめーーいっぱいお金を使って
遊んだ方が良いって良く言ってます(笑)
お嬢はネエサンと同じく
嫁に行くまで
実家に住んでるだろうから
給料のほとんどを使って
遊んで欲しいです(^_^)
自分で家庭を持ったら
お金は「遊びにだけ」使う訳には
いかないからね
それはちょっと先の話だけどね😄
数年後
お嬢はどんな成人式を迎えるのかな??
3月生まれのお嬢は
お嬢が18歳になって約1ヶ月後の
4月1日に「成人」になります
2022年4月1日から
18歳で成人になりますよね
しかし
保護者の承諾無しで
18から出来る様になる事は増える様だけど
お酒タバコギャンブルなどは
20歳のままだそうですね
18歳で成人扱いになるけど
成人式は二十歳のままなんだろうな
18歳で成人式はムリだよね
いろんな事と被るしね
大学進学の場合は
親の出費も重なっちゃうよね💦
たとえ18歳が成人となっても
親は子供が
二十歳の誕生日や成人式が
1つの区切りにもなるのかな??
ネエサンはそうだな
でも
家のお嬢は
ここに住んでる限り
なかなか大人にはなれないだろーな(笑)
そう言えば
ネエサンや夫は
何歳から何が出来るとか出来ないとか?
そーゆー事は全く関係なく
何でもやってたな(笑)
成人式かぁぁ
という話から いろんな話したけど
ネエサンの成人式当日の話で
忘れられない話がもう1つあります
ネエサンが成人式の日
川越市民会館前で中にも入らず
小中高校の時の
いろんな友達とワチャワチャ喋っていたら
ある1人の大人の女性に話しかけられました
その女性の顔は誰だか直ぐに分かりました
ネエサンがバイトしてた飲食店に
良く来ていた家族のお母さんでした
そしてそのお母さんの息子さんは
養護学校に通っていた男の子でした
お店に食べに来た時は
よく奇声をあげたり
ジャンプしたりしてました
お母さんは
いつもその男の子と手を繋いで
食べてました
ネエサンは
そのご家族が来て 食べていく事も
障がいのある息子さんが騒いだとしても
慣れていたので
迷惑とも何とも思ってませんでした
何回もそのご家族の事の
接客はしましたが
個人的にお話した事は無かったと思います
ネエサンはバイトでしたが
そのお母さんは
ネエサンの顔を覚えてくれていて
声をかけた様でした
ネエサンは始めて
あの男の子は同じ年齢だったんだなぁ
と思いました
そんな所で会うとは思ってなかったから
わ~!!って言って
こんにちは(^o^)くらいの
挨拶をしました
そしたら
そのお母さんがネエサンに
「迷惑かもしれないけど
息子と一緒に写真を
撮ってくれませんか?」
と言いました
ネエサンは即答で
「いいですよ!!」と言って
その息子さんと
ツーショット写真を撮りました
そして
その後 暫くたった時
そのお母さんが バイト先に
写真の入ったお手紙を預けて行ったと言って
店長から封筒を受けとりました
中には
「友達と言える様な同級生も居なかった息子と
こんなに綺麗な振り袖を着た女の子が写真を撮ってくれた事は
息子にとっても母親の私にとっても一生の記念になりました
本当にありがとうございました」
少し文言は違ってるかもしれないけど
この様な事が書いてあったのは
よーく覚えています
あれから32年
勿論 ネエサンのアルバムにも
この時のツーショット写真は
まだ 貼ってあります
私にとっても とても良い思い出です
数年前 川越の何処かで
この時の男の子を見かけた事があります
男の子って言っても
ネエサンと同級生なのだから
アラフィフだけど(^_^;)
1人で自転車に乗ってました
それをみた時
1人で行動出来る様になったんだなぁ
って思いました
彼はネエサンの事は覚えてないよな
と思ったので
その時は
話しかけませんでしたが
もし お母さんと一緒に居る所を
今度お見かけしたら
話しかけてみようかな(*゚ー゚)
なんて 思ってます